『あかいあかい そらの したで。』
土曜日の部活後。 授業が昼までだから、平日よりは早い時間に俺たちは解放される。 監督は厳しい人だしそれに比例するようにやっぱり練習も厳しいけれど 、 その練習と休む時間、両方をとても大切にする人だから 無闇に部活 を続けたりはしない。 勿論、自主練に残る人間もいるけれど それは俺た ちの文字通り自主性に任せられている。 今日は俺も比乃も部活の終わった時間に上がって、部室に戻って着替 えを済ませたところ。 自分のロッカーを閉めて比乃の方を見やると 比乃 はなんだか一生懸命自分のカバンを引っ掻き回している。 ひとりごとのように「あれー?」とか「おっかしーな〜」なんてつぶやいてい るから 何か探し物をしているのかもしれない。 「……?」 俺が比乃の傍らに立って首を傾げて見せると、比乃は顔をカバンから上げ て言った。 「シバ君〜…ぼく教室に忘れ物しちゃったみたいだよぅ〜…」 何忘れたの?と俺が尋ねると「借りたノート〜…」と返事が返ってきた。 多分たまってる課題のためだろうな、と俺が苦笑をもらしながら 取りに行 く…?と訊くと比乃は「ついてきてくれる?」って上目遣いなんかで言うもの だから、俺はその表情に内心動揺しつつも(だって可愛いんだからしょうが ない) いいよ、って頷いた。 部室を出ると、真っ赤な夕焼けが俺たちを待っていた。 校舎の上に、こっちまで迫ってきそうな赤。 「うわぁ、空の色がすごいねぇ。 最近あんまり天気よくなかったからこんな夕焼け見るの久しぶりだね。」 比乃は空を見て言う。 確かにもう梅雨になろうって時期で、曇り空とか雨ばっかりだったから こんな色を見るのは久々だ。 俺たちは校舎とその周りの建物の間から覗く夕暮れの空を眺めながら、 もう人の少ない校舎に足を踏み入れる。 1年の教室は3階にあるから(ちなみに2年が2階で3年が1階) 俺たちは迷わず階段を使う。 階段の踊り場も、廊下も窓から入る光で紅く染まってる。 普段はあんまり見れない光景だ。 「なんだかすごいね〜…」 比乃もきっとおんなじようなことを考えてたんだと思う。 驚きとも感嘆ともつかない言葉を口からもらす。 俺はそれに頷き返して少しだけ、サングラスをずらしてその光景を見た。 青いフィルターを通さないで見た色は、やっぱり赤かった。 「あ、あったあった〜、よかったぁ。」 教室について、比乃の机の中には比乃の忘れ物。 ちゃんとあったらしく、比乃はほっとしたようにそれを自分のカバンに収める。 やっぱり、教室もいつも見ている昼間の光景とは全然違って見える。 俺たち以外に誰もいなくて、夕暮れに染まって。 比乃はカバンを抱きしめるように持ったままそれを見つめている。 と、突然こっちを振り向いて 「ね、シバ君。今日急ぎの用事とかある?」 と訊いてきた。 俺は面食らいながらも、別に用事なんてなかったから首を横に振る。 「なら、ちょっと屋上行ってみない?」 きっと屋上から見た夕焼けもキレイだと思うから、と無邪気な笑顔。 俺も、それはいい考えだなって思ったし 少しでも長く比乃と一緒にいられるから、と少々自分本位な理由も頭をかすめ たから「行こう」って比乃の手を取って歩き出した。 こんな時間だし、屋上の鍵開いてるかなって心配も頭の隅にあったんだけど それは杞憂に終わって、あっさりと屋上への扉は開く。 ギィ…とどこか錆び付いてきしんだ音とともに扉の隙間から漏れる光。 グラウンドから空を見たときには後者の陰に隠れて見えなかった、 太陽の放つきんいろの光。 比乃は俺に手をひかれて、俺の背後で眩しそうに目を細めながら 「うわ…」とつぶやく。 そして、俺が扉を完全に開け放つと比乃はたまらなくなったように駆け出した。 「うっわ〜すごい!なんだか空が近くにあるみたいな色だね〜!」 建物の間から見た空とは比べ物にならない広い、空。 サングラスの青いレンズを通してもなお赤い。 そして、太陽の黄金色。 俺はサングラスをはずして制服の胸ポケットに収める。 比乃はいつの間にか俺の手も自分のカバンも放して、誰もいない屋上を端の フェンスまで駆けて行く。 「昼の青い空を見ても思うけど、こういうキレイな色の空見ると なんだか空飛べそうな気がするよね。ぴゅーっとさ。」 フェンスに体をあずけて、こっちを見ながら比乃は言う。 腕を目一杯広げて大きく深呼吸する比乃。 「こうやって鳥みたいに飛べたらおもしろいのにね?」 でも、ぼくには2本の足があるからいいけど、と笑ってみせる。 「空の色ってホントにいつも違うよね。微妙ーな違いだったりするけど。 あ、まるでシバ君みたいだ〜。」 それは褒められてるんだか貶されてるんだかよくわからないよ…比乃。 「別にどっちでもないよ?」 比乃がいたずらっぽい笑顔を浮かべる。 まぁ、いいけど…と俺が苦笑いを浮かべたとき、ふいに風が吹いた。 「あ・・・!」 と比乃が声を上げると同時に比乃の帽子が風にさらわれる。 俺はそのときの光景はきっと忘れられないって思う。 風に舞い上がった比乃の素直な性格を表したようなまっすぐな髪の毛。 赤と、きんいろの光に照らされてもともと茶色っぽい色がさらに薄く、見 たことのないような不思議な色に見えた。 そして、瞳。 赤みがかった比乃の瞳はいつも綺麗な色だなって思ってはいたけど。 そのときは。 夕暮れ時独特の太陽のきんいろの光が瞳に入って ますます赤く。 どこか人間の瞳に見えないような、赤。 赤、紅、朱、きっとどれともつかない。 ふわり、と舞った髪の毛とその瞳。 不意の風に驚いたような、比乃の顔。 その一瞬の光景。 サングラスはずして見ることができて、よかったって思う。 でも。 そう思うと同時に。 比乃は確かに今ここにいるのに、消えてしまうんじゃないかって錯覚が、した。 あまりにもそこにいる人間って感じじゃなかったんだ。 もっと言えば、つくりものめいたような。 ここじゃないどこか別のところから来た者のような。 なにか不思議な者のような。 さっきの光景が焼き付いて離れない。 逆光で、比乃の輪郭がぼやけて見えたからかもしれない。 太陽のきんいろの光が比乃の瞳に反射して、 見たこともない色に見えたからなのかもしれない。 俺は、飛んできた帽子を帽子をキャッチすることも忘れて (守備失格かもしれない、俺) 比乃に駆け寄る。 「ど、どうしたのシバ君。」 比乃は俺の突然の行為に驚いたように目を丸くする。 その瞳はやっぱりいつもより不思議な色に見えて。 風の名残にさらさらと落ちる髪も。 俺はたまらなくなって比乃を抱きしめた。 「し、シバ君!?」 俺の胸のところでくぐもったような比乃の声。 きっと驚いて目を白黒させてるに違いない。 「比乃。」 俺はただ、名前を呼んだ。 腕は緩めない。 「シバ…君?」 比乃は俺の不安とも何ともつかない気持ちを感じたのかもしれない。 もぞもぞと、たぶんちょっと苦労して自分の腕を俺の背中にまわす。 「ねぇ、ぼくはちゃんとここにいるよ…?」 そんなにしなくってもいなくなったりしないよ、とつぶやくように言う。 それでも俺はしばらくこのままで、いたかった。 比乃がここにちゃんと存在してることをこの手で確かめるように抱きしめ たまま。 なんか、女々しいっていうか情けないっていうか。 そんな俺の背中を、比乃が黙って撫でてくれたのが無性に嬉しかった。 どれくらい、そうしていたのかはわからないけど。 少し日が翳ってきてやっと俺は腕を緩める。 そして、比乃と目を合わせるとそこにはいつもの比乃の顔。 「シバ君、大丈夫?」 小首を傾げるしぐさがかわいらしい。 大丈夫だよ、ありがと。と俺は笑みを浮かべる。 「それにしても、ぼくびっくりしちゃったよ。突然どうしたのさーって。」 屈託なく笑って比乃は言った。 「シバ君はぼくがいなきゃダメなんだから〜…ま、ぼくもシバ君がいなきゃ ヤだけどね。」 ふふっ、ともれた声は果たして俺と比乃とどちらが先だったのか。 俺たちは手を繋いで屋上を後にする。 ふと地面に目をやると。 太陽の最後の弱々しい光でうっすらと伸びる影は確かに2つ。 手を、繋いで。 伸びる影が1つじゃない。 そのことがこんなに安心できたのは これがはじめてだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おしまい